レトロ車両 120号・300号
高松琴平電気鉄道の開業時から走り続けている車両で、大正15(1926)年にデビューしました。
1000形120号と3000形300号がイベント用車両として活躍していましたが、老朽化に伴い、令和3(2021)年11月3日のさよなら運転をもって引退し、現在は仏生山工場内の作業車として使用しております。
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琴平線:羽間〜榎井間 土器川橋梁

土器川橋梁は、大正15(1926)年1月に琴平線の羽間〜榎井間に竣工しました。橋長は229.18mで、ことでんで最も長い橋梁です。橋脚は石積みで作られており、記念碑性と装飾性が強調されています。鉄桁の側面に使用している「ボオル結構式四角鉄柱」は、開業当時から使用しているものです。背後に象頭山を望み、そこに鎮座する金刀比羅宮が近いことを実感させます。
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琴平線:滝宮〜羽床間 綾川橋梁

綾川橋梁は、大正15(1926)年1月に、琴平線の滝宮〜羽床間に竣工しました。橋長は45.31mで、ことでんで3番目に長い橋梁です。綾川が形成した深い渓谷を越えるため、橋脚・橋台はひときわ高く造られています。鉄桁の側面には、「大正十五年製造/大阪/日本橋梁株式会社」と書かれたプレートが取り付けられています。
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琴平線:一宮〜円座間 香東川橋梁
香東川橋梁は、大正15(1926)年に琴平線の一宮〜円座間に竣工しました。橋長は204.19mで、ことでんで2番目に長い橋梁です。鉄桁は、橋脚は石積み(粗石コンクリート造)で、琴平線の小規模橋梁がコンクリート造であるのとは異なり、記念碑性と装飾性が強調されています。鉄桁側面の「ボオル結構式四角鉄柱」は、開業当初の架線鉄柱です。
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長尾線:公文明〜長尾間 鴨部川橋梁

鴨部川橋梁は、明治44(1911)年4月に長尾線の公文明〜長尾間に竣工しました。橋長は55.72mです。当初は木橋で、大正期の後半に鉄橋となり橋脚が6本立っています。その内の中央部を除く4本は当時の石積みのままで残っています。
橋脚には、木橋時代に木の桁を支えた支保工の跡が残っています。また、竣工された当時は、路線の複線化に備えて、後で積み足せるように橋脚幅が広くとられたため、下流側が階段状になっています。
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長尾線:平木〜学園通り間 新川橋梁

新川橋梁は、明治44(1911)年に長尾線の平木〜学園通り間に竣工しました。当初は木橋で、大正期後半頃に鉄桁に架け変えられました。橋脚は、明治の開業時の状態を最も良好にとどめています。
水や漂流物を受け流す流線形の輪郭と、将来の複線化による増築を見込んだ階段状の石積みのコントラストが美しく見事です。木橋時代の支保工の痕跡や、カーネギー社製の鉄桁は、鴨部川橋梁と同じ作りとなっています。
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長尾線:元山駅

明治45年(1912)高松電気軌道の開業当時から、長尾街道沿いに建てられ、長尾線でただ一つ残された古い駅舎です。駅舎にはノコギリの歯のような軒飾りがズラリと並んでいます。入り口から入って右側に2〜3畳程の広さがありますが、開業当時には、切符の販売を行っていました。現在は改装して待合所になっています。
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志度線:琴電屋島駅

現在の駅舎は、昭和4(1929)年の屋島登山鉄道の開業時に建てられました。
軒の出が浅い緩勾配のスレート屋根や、平面の凹凸を抑えた外壁が平明でグラフィカルな外観を構成しており、すっきりとあか抜けしている住宅をイメージさせるモダンデザインの駅舎は、屋島観光を支えた昭和初期の大衆文化を反映しています。
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回転変流機(平木変電所跡)
イングリッシュエレクトリック社製で、出力は500kwの回転変流機です。
当初は志度線の屋島変電所で使用されていましたが、志度線が昭和41年に600Vから1500Vに昇圧されたのを契機に長尾線の輸送増強に対応する為、平木変電所に移設されました。主に朝夕のラッシュ時間帯を中心に使用されていましたが、昭和51年に長尾線が1500Vに昇圧された際に、平木変電所とともに使用されなくなりました。
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琴平線:滝宮駅
大正15(1926)年に琴平電鉄の暫定的な終着駅として開業しました。
琴平電鉄時代に建てられた駅舎は、初代社長・大西虎之介が関西の私鉄を視察してデザインされており、滝宮駅は唯一現存している駅です。急勾配の三角屋根と玄関のひさしは、末広がりになった形をしており、風格のある歴史が感じられます。当初は柱の間をモルタル塗りにした洋木造建築(ハーフティンバー様式)の外壁で、大正期の住宅をイメージさせるデザインでした。
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